マザーズ  金原ひとみ

マザーズ

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母親であることの幸福と、凄まじい孤独。金原ひとみがすべてを注いだ最高傑作!

同じ保育園に子どもを託している、作家のユカ、主婦の涼子、モデルの五月。三人の若い母親たちが抱える、痛みにも似た孤独と焦燥、母であることの震えるような幸福。彼女たちは何に傷つき、何に憤り、何に慰撫されているのか。作家が自身の体験のすべてを注いで描きだす、現代日本「母」、そして「家族」。渾身の最高傑作!

ひとみちゃんの最高傑作だ!でかした、ひとみちゃん!
文芸誌新潮に連載されていた時、なにげなく読み始めたら大変なことに。続きが待ち遠しくてたまらなくなってしまった。(図書館だけど)
子供もいないのに軽く育児ノイローゼになりました。  
乳幼児に追いかけられる悪夢を見ました。 ぐったり。
全ての女性がTVや映画のようにほんわかと子育てができるなんて、幻想なんだよね。
これはぜひとも男性に読んで欲しい。ギリギリにすり減っている母親の世界を少しでも疑似体験できると思う。
この若さでここまで濃厚かつリアルな文章が書けるなんて。これから人生を重ねればコクも加わり、さらに濃縮された文章を書いてくれるかも。

最近、新聞のコラムが少し話題になっているようです。
http://savechild.net/archives/10211.html
http://www.shinchosha.co.jp/writer/3460/

梅入黒べっ甲飴

同じ梅でもこちらは本物入り。萎れたやつ。この飴ちゃんにも夢中。
酸い→甘い→酸い→甘い が交互に来てお口の中はこんがらがるけれども、それがまた素敵なハーモニー。
夢中でしゃぶっているうちに終了。

↓本当はこっちのやつのほうがおいしいけど、あまり売ってないの。

味覚糖 忍者めし

お久しぶりです。
キンモクセイの香りただよう、大好きな季節です。 食欲モリモリで制御不能です。誰か止めて。

www.ranking-gogo.net
UHA味覚糖株式会社
平均評価点:4.4
口コミ件数:7件
大人のお菓子といった感じでおいしいです。口に入れると酸...(ハルさん)

これ、小指の先ほどのちっこいグミなんだが、すごく硬くて長持ちするの。 なんか卑猥な文章だ。
甘いグミは苦手だけどこれはハマッてる。梅干し&おかか味。まさに名前のとおりの味が持続します。どうやって作るのだろう。日本のお菓子を作る技術ってのは世界一だな。 
たぶん、好きなひとは凄く好きだけど嫌いな人はひとくち食べてオエってなると思う。 オエッてなってもワシは知ったこっちゃないのであしからず。

噛めば噛むほど「旨味のシゲキ」が溢れ出す!ハードグミ特有の食感と噛み応えが抜群のグミです。
ほどよい酸味がリピートを誘います。
グミに素材を練り込んでいるので、噛むほどに旨味が溢れ出します。

UHA味覚糖 FILE NOT FOUND. ページが見つかりませんでした。

漂砂のうたう 木内昇

漂砂のうたう

漂砂のうたう

作家というものは凄い、と改めて思った。筆一本でこのような世界を描いてみせるのだ。CGはおろか、色彩豊かな映像、迫力ある音響でごまかせる映画やTVとは違う。 
読んでいて頭の中に明治の根津遊廓がくっきりと立ち現れた。ああ贅沢な時間。このままずっとこの物語の中にいたいと思った。 

定九郎(主人公)の気持ちが絶えず揺れ動いているのも良い。 
小説を読むとよく思うのだ。主人公が「いい人」すぎやしないか?定型化されていないか?と。
人間って、もっとずるくて、迷っていて、心のなかで悪口を言っていたりするものじゃないの?と。 それともわたしが上等な人間ではないのか?そうなのか?と反省したり。

こういうのを読んじゃうと、他の本が読めなくなってしまう! ああ大好きだ。 表紙も小村雪岱だし。

雪岱。なかでも「青柳」が一番好きなの。人間がいないけど、気配が残されているの。



猫の一年 金井美恵子

猫の一年

猫の一年

ジュリーといえば今、読み終えるのが惜しいので、ゆっくりゆっくり舐めるように読んでいる大好きな金井美恵子さんのエッセイにも登場する。
日本で人気のある(あった)田村正和・ジュリー・木村拓哉にちっとも魅力を感じない、と金井さん。

阪妻の息子である田村正和は、莢の中で育ちが良くないくすんだ肌色で痩せたソラ豆のような顔といい、細身(スリム)な体というと聞こえがいいのだが、ソラ豆顔にとってさえ、バランスの悪い貧弱な体(しわがれて聞きとりにくい声も美声とはいい難い)スターである。
日本のテレビを中心にしてその支持者が女性たちと考えられている男性スターは、なぜか田村正和沢田研二だけでなく、系列(ラインとして木村拓哉)につらなるイモ系が好まれるのではあるまいか。 160頁

そもそも、沢田研二がジュリーと名のるのは、かつて何かで読んだのだったが、ジュリー・アンドリュースのファンでかつ尊敬していたからなのだそうで
157頁

田村正和→ソラ豆。確かに。 
金井さんの文章は慣れないと読みづらいので、途中で投げ出してしまう人もいるかも。もったいないなあ。こんなにおもしろいのに。

「結果を出す」という言葉をよくスポーツ選手などが使うけれど、この言葉にずっと違和感を持っていて、金井センセイのエッセイに「結果」でなく「成果」だ、書いてあり、そうだよね!とスッキリした。

家族の病人のためにいのちのスープを作りつづけてきたことから出発した家庭料理の研究の大切さを、いささか奇矯にさえ聞える毅然たる一徹さで、あたかも何かに対して怒っているかのような口調で使命のように語りつづける料理研究家辰巳芳子も―
205頁

この方が「食べるべきように食べなければならない」とか力説するたびになんとなく違和感というか、よーく聞いても結局意味が分からないわたしがバカなのか?と思っていた。

NHKきょうの料理 いのちを養う四季のスープ (NHK出版 DVD+BOOK)

NHKきょうの料理 いのちを養う四季のスープ (NHK出版 DVD+BOOK)

高野文子の「絶対安全剃刀」には、自分を小さな、大きなリボンを頭につけた女の子だと思っている認知症の老女が登場し、私はこれを大島弓子の、人間の女の子だと思っている猫の登場する「綿の国星」に対する批判として読んだものだったが、考えてみれば、「可愛いおばあさんになりたい」という言説への痛烈な皮肉として、高野文子のマンガは描かれたのだと考えるべきだろう。 205頁

わたしは「可愛いおばあさん」になれそうもないので、早く「枯れた爺さん」になりたいと思ってしまうのかもしれない。爺さんに憧れることにより、婆さんにしかなれない自分から逃げているのかも。

絶対安全剃刀―高野文子作品集

絶対安全剃刀―高野文子作品集

どこで読んだか金井さんで一番笑ったのが

デブの中学生がキャンプに行って戦争ごっこしてウルシにかぶれたって顔してる防衛庁長官

というような文章です。
http://www.kantei.go.jp/jp/koizumidaijin/020930/14isiba.html

掛け持ちして失礼こくといけないと思ってね

姫野さんのところから見たのだけど

 

桃井さんのジュリーと山城氏を見る目つきが全く違う。ジュリーを見てるときは黒目が大きくなって、トロンとキラキラなってるに違いない。女ってこういう時、反応が正直。


ジュリー 
太陽を盗んだ男』はそもそも桃井かおりさんだったんですよ…断ったんでしょ。沢田研二じゃ出来ないって。

桃井   
違うのよ。やりたかったんだけど。その時ちょうど『もう頬づえはつかない』という映画とおんなじだったのよ、時期が。

失礼コクってところが凄く桃井さん。

天才だもの 春日武彦

天才だもの。 わたしたちは異常な存在をどう見てきたのか

天才だもの。 わたしたちは異常な存在をどう見てきたのか

仕事柄わたしは、まったく何もやらない人物に出会うことがある。精神病の範疇にはあるのだけれども、苦しくて何も出来ないわけではない。幻覚や妄想に引っ張られて何もしないわけでもない。退屈もしていないし、悩みもない。混乱もしていない。大概は統合失調症が上手く改善しないまま、幻覚妄想は消えたが精神もフラットになってしまった人である。一日中じっと部屋の真ん中に座っていて、テレビすら見ない。食事は、出されれば食べるが出されなければそのまま。促されれば色々なことが出来るのに、自分からは何もしない。「しない」という能動的な意思があるわけではなく、「したくない」といった否定的な気持ちがあるわけでもない。
こういった人を前にすると、不安感が生じてくる。 146頁

かねがね人間にとって究極の精神的拷問とは、チリひとつ落ちていない何も無い部屋の中ただひとり置かれる、ということなのではと思っていた。機械的に食事を出されるのみ。他者とも一切接触できない。これは気が狂うだろう、と。
しかしそれをクリアしてしまえる状態にある人間もいる、ということだ。まさに壊れた人間。想像するだに恐ろしい。目の前にこういった人がいたら、直視できないだろう。