天才だもの 春日武彦

天才だもの。 わたしたちは異常な存在をどう見てきたのか

天才だもの。 わたしたちは異常な存在をどう見てきたのか

仕事柄わたしは、まったく何もやらない人物に出会うことがある。精神病の範疇にはあるのだけれども、苦しくて何も出来ないわけではない。幻覚や妄想に引っ張られて何もしないわけでもない。退屈もしていないし、悩みもない。混乱もしていない。大概は統合失調症が上手く改善しないまま、幻覚妄想は消えたが精神もフラットになってしまった人である。一日中じっと部屋の真ん中に座っていて、テレビすら見ない。食事は、出されれば食べるが出されなければそのまま。促されれば色々なことが出来るのに、自分からは何もしない。「しない」という能動的な意思があるわけではなく、「したくない」といった否定的な気持ちがあるわけでもない。
こういった人を前にすると、不安感が生じてくる。 146頁

かねがね人間にとって究極の精神的拷問とは、チリひとつ落ちていない何も無い部屋の中ただひとり置かれる、ということなのではと思っていた。機械的に食事を出されるのみ。他者とも一切接触できない。これは気が狂うだろう、と。
しかしそれをクリアしてしまえる状態にある人間もいる、ということだ。まさに壊れた人間。想像するだに恐ろしい。目の前にこういった人がいたら、直視できないだろう。